湊雅博 | www.masahirominato.com
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「クロッシングポイント」辻 唯乃 – TUJI Ino

平日の昼間、私は会社員である。
職場では仕事以外の他愛無い会話を交わすこともある。
あるとき隣席の同僚が、
「わたし、少なくとも300年は生きたいと思うんです」
唐突に言う。
「いやだよ。そんなの」
「なんでですか?」
「記憶が溜まってしまって堪らなくなる」
そして彼女、
「古いものは消して行けばいいんですよ、オーバーライト」
と。

「位相」とは「周期的に繰り返される減少の周期に存在する特定の場面」だという。記憶には、想起や忘却というステージがある。それらのプロセスを周期で見るとすれば、人は一生の間、同一の対象に周期的にその行為をどれだけ繰り返すことが出来るのだろうか。そんなことを考えると、写真の半永久性を考える事と同様に半ば空恐ろしくなってしまうのだ。

「写真」は記憶の補助ツールとして視覚を符号化する。その過程ではカメラや暗室、もしくは明室作業というフィルターが重ねられつつ、モノ見る表現者の視線が作画を執り行うこととなる。化学から科学へと移行を遂げた写真。光を受け通すゼラチン質には不可能であったが、0と1の組み合わせには可能な上書きの、画を重ねていくという行為を私たちは受け入れる。既に見えた画はそのまま何処かに残るのか、それとも「同僚」の言うように「重ね書き」にて消去されるのか。残る画の優先順位は如何に決定されるのか、もしくは重ねる中に取捨選択の余地は含まれるのか。

忘却される、その記憶、と対峙する。

刻んだ年齢、写真に対する向かい方も違う5人のそれぞれの視点がここで交錯する。違いはあっても「その記憶」へは写真という共通の媒体を通して向かい合う。

色と光と時間の恋愛。ゼラチン質との邂逅。
周期の中で5人の符号が交錯する思い、と表現